こういう問題がでる
第九 懇望を停むべき事
六条修理大夫顕季卿、東の方に知行の所ありけり。館の三郎義光、妨げ争ひけり。大夫の理ありければ、院に申し給ふ。「左右なく(現代語に訳せ)、かれが妨げをとどめらるべし」と思はれけるに、とみにこときれざりければ、心もとなく思はれけり。
院に参り給へりけるに、閑かなりける時、近く召し寄せて、「なんぢが訴へ申す東国の庄のこと、今までこときらねば、『口惜し』とや思ふ」と仰せられければ、かしこまり給へりけるに、たびたび問はせ給へば、わが理あるよしを、ほのめかし申されけるを聞こしめして、「申すところは言はれたれども、わが思ふは、かれを去りて、かれに取らせよかし」と仰せられければ、「思はずに、あやし」と思ひて、とばかり、ものも申さで候ひければ、「顕季が身には、かしこなしとても、こと欠くまじ。国もあり、官もあり。いはば、この所いくばくならず。義光は、かれに命をかけたるよし申す。かれがいとほしきにあらず。顕季がいとほしきなり。義光はえびすのやうなる者、心もなき者なり。やすからず思はんままに、夜、夜中にもあれ、大路通るにてもあれ、いかなるわざわひをせむと思ひ立ちなば、おのれがため、ゆゆしき大事にはあらずや(意味を説明せよ)。身のともかくもならんもさる事にて、心憂きためしに言はるべきなり。理にまかせて言はんにも、思ふ・憎むのけぢめを分けて定めんにも、かたがた沙汰に及ばんほどのことなれども、これを思ふに、今までことをきらぬなり」と仰せごとありければ、顕季、かしこまり、悦びて、涙を落して出でにけり。
家に行き着くやおそき、義光を「聞こゆべきことあり」とて呼び寄せければ、「人まどはさんとし給ふ殿の、何ごとに呼び給ふ」と言ひながら、参りたりければ、出で会ひて、「かの庄のこと申さんとて、案内言はせ侍りつるなり。このこと、理のいたる所は申し侍りしかども、よくよく思ひ給ふれば、わがためは、これなくとてもこと欠くべきことなし。そこには、これをたのむとあれば、まこと不便なりと申さんとて、聞こえつるなり(現代語に訳せ)」とて、去文を書きて取らせられければ、義光かしこまりて、侍に立ち寄りて、畳紙に二字書きて奉りて、出にけり。
そののち、つきづきしく(現代語に訳せ)、昼など参り仕ふることはなかりけれども、よろづの歩きには、何と聞こえけん、思ひよらず、人も知らぬ時も、鎧着たる者の五六人、なきたびはなかりけり。「誰そ」と問はすれば、「館刑部殿の随兵に侍り」と言ひて、いづくにも身を離れざりけり。
これを聞くにつけても、「悪しく思はましかば」と、胸つぶれて、院の御恩、かたじけなく思ひ知らるるにつけても、「かしこくぞ、去り与へける」と申されけり(形容詞を全て終止形に直せ)。
かかるためしを聞くにも、頼めてむ人は、一旦つらきことなとありとも、恨みを先立てずして、そのはからひをめぐらすべしとなり。